2021-04-07 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第15号
○三原副大臣 医師法におきましては、医師は正当な事由がなければ診療を拒んではならないとして、いわゆる医師の応召義務というものを規定しております。 正当な事由の有無については、個々の事情に即して具体的に判断する必要があり、一概にお答えすることは困難でありますけれども、患者の年齢のみを理由に診療を拒否することは、正当な事由があるものとは言えないと考えております。
○三原副大臣 医師法におきましては、医師は正当な事由がなければ診療を拒んではならないとして、いわゆる医師の応召義務というものを規定しております。 正当な事由の有無については、個々の事情に即して具体的に判断する必要があり、一概にお答えすることは困難でありますけれども、患者の年齢のみを理由に診療を拒否することは、正当な事由があるものとは言えないと考えております。
父は、漁村の次三男であり、応召前は北洋漁業に従事しており、漁業に対しての強い意欲を持っておりました。漁協ができ、組合に参加した当時の喜びを幾度となく聞かされました。あの当時の喜びと同じような、全国の漁業者に喜びが沸き上がるような漁業法の改定を願っています。 結びに、先人の英知がなし得た理念に満ちた現行漁業法を朗読します。
十、医師の働き方改革については、応召義務等の特殊性を踏まえ、長時間労働等の勤務実態を十分考慮しつつ、地域における医療提供体制全体の在り方や医師一人一人の健康確保に関する視点を大切にしながら検討を進めること。
六 医師の働き方改革については、応召義務等の特殊性を踏まえ、長時間労働等の勤務実態を十分考慮しつつ、地域における医療提供体制全体の在り方に対する視点も大切にしながら検討を進めること。
しかし、一方で、医師については、求めがあれば診療を拒んではならないという応招義務が課せられていることなどから、働き方改革実行計画においては、「医師については、時間外労働規制の対象とするが、医師法に基づく応召義務等の特殊性を踏まえた対応が必要である。」とされているところです。 これを受けて、現在、厚生労働省において、医師の働き方改革に関する検討会が立ち上げられました。
その一方で、医師法に基づく応召義務等の特殊性を踏まえた対応が必要であるというふうになっておりまして、医療界の参加のもとで検討の場を設けて、二年後を目途に規制の具体的なあり方、労働時間の短縮策等について検討というふうになっておりまして、この建議を踏まえて、私どもは、医師の過重労働を防ぐため、しっかりとその対策づくりに取り組んでいかなければならないというふうに考えております。
南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であった。部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼の如くふるまった。何かいえばすぐ銃剣をがちゃつかせるので、危険で近よれないらしかった。 私は三省事務局長会議で度々陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。
私ごとでありますけれども、私を育ててくれた祖父、親が早くに離婚しましたから祖父が育ててくれましたが、この祖父が大正八年生まれで、応召で軍隊に入り、中国戦線から、その後、ニューギニアに送られました。ニューギニアは、総理も御承知だと思いますけれども、当時、十八万人日本兵が投入をされて、生きて帰ってきたのは一万八千人、大体一割ぐらいということでありました。
第一師団及び第五旅団の改編は、陸上自衛隊の基幹部隊を常備自衛官のみの編成とし、海外活動への応召義務がなく、練度の低い即応予備自衛官は、新編する方面混成団で一元的に管理運用する体制に変更するものです。海外活動の本来任務化に対応した陸上自衛隊の態勢づくりを進めるものであり、断じて認められません。 以上、討論を終わります。
つまり、いわゆる恩給という性格は、さっきも説明がありましたけれども、これは、本人の意思にかかわりなく、あの時代、応召あるいは徴兵されて戦場に赴くわけですね。これは本人の意思じゃありませんよ。しかし、今の年金というのは、国民年金、これはあまねくすべてですが、しかし、その他の共済年金とか厚生年金なんというのは、それぞれの意思が働いてその境遇の中に入っていくわけですね。
それから文部省の課長か何かになって、課長直前かな、応召して、そして戦後は、文部省に帰るというときに、地元、山形県鶴岡市の市長になれと。当時、まだ選挙じゃなくて指名だったんですね。何で、どうやってできたのかな、地元の有力者が市長か何かを選ぶんですね。終戦直後二、三年はそういうのがあったみたいです。それで、いや、私は文部省に帰ると。どっちかというと役人が好きなタイプでしたから。
昭和二十年ごろにおきまして、中国東北地域におきましては開拓団員を初め多くの日本人が居住していたわけでございますが、壮年男子の多くは現地応召ということで、残されたのは婦女子が主体ということでございます。昭和二十年八月九日のソ連参戦後におきまして、これらの人々は居住地を追われることとなりまして、避難する途中あるいは収容所において死亡するなどの事態が生じたところでございます。
私が小さいときに、父が応召して出征したものですから、毎日父あてに軍事郵便を書いたものですけれども、そのときにはたしか派遣軍と書きましたよ。派兵とは書きませんでした。
○森内閣総理大臣 私も当時、生まれた時代がちょうど十二年だったわけでありますし、父が戦争に応召をしたわけでありますから、そういうふうな形で私のときは聞いていたわけでございます。
この趣旨は、今次大戦におきましては実態といたしまして大量の動員が逐次必要になってきたという状況を背景といたしまして、ある意味で頑健でないような方も応召された、召集されたというような実態が出てきたわけでございます。
日赤の看護婦になればよいと気づき、小さいころから包帯巻きが好きであった私は、赤い十字にあこがれて受験、三年間厳しい教育を受け、養成所を卒業して間もなく、夢にまで見ていた応召令状の赤紙をいただきました、とあります。 この方の勤務地はジャワ島でした。現地人の襲撃に備えた訓練あるいは実際の見回り、青酸カリや自爆用の爆薬まで所持させられたわけです。
慰労給付金の兵の恩給をもとにした算出方法に照らしても、日本赤十字社令や応召の実態からしても、格差の拡大は、日本の女性と国民の理解、支持を到底得られるものではありません。違いますか。
○阿部幸代君 日本の女性と国民の理解や支持を得るためにも、日本赤十字社令や応召の実態を深く勘案して格差是正に本腰を入れていただきたいと強く要望いたします。 次に、毎年のように寄せられる元日赤救護看護婦に対する慰労給付金に関する請願に関して質問いたします。 この請願は、参議院では全会一致で採択されています。
残留邦人の中で、男性の方は当時既に応召されたりして開拓団におられなかったこともありまして、どうしても婦人の方が多いということで、残留婦人の方が残留邦人のほとんどを占めているということでございます。
当時の言葉で言えば国の大義に殉じよう、今風に言い直せば犠牲と奉仕の精神を持って応召しました。現代の若者に最も欠けていると言われる犠牲と奉仕の精神が当時の若者たちには横溢していたのであります。
○伊東(秀)分科員 先ほどの外務大臣の御答弁では、非常に常識的に考えて、同じ日本人として軍に応召しながら、一方は日本人だから恩給や援護金を与えて、一方は韓国人あるいは北朝鮮人になったのだから与えないというのは何とも気の毒だ、何とかしたいというお気持ちを吐露されたわけですけれども、厚生省にはそういう気が全くないのかどうか、その辺はいかがでしょうか。
これは昭和五十八年に書かれた論文ですが、 当時、国鉄は応召・外地派遣の補充と戦時輸送力の増強のため大量の新規採用を行ない、戦後しばらくの間も、復員者・外地引揚者の吸収を行なった。このため職員構成上大きな歪みが発生したが、これらの職員が五十三年から十年間の間に年平均二万人のペースで退職している。このことが成熟度を急速に高めつつある大きな要因となっている。 他方、組合員は年々減少を続けておる。